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170626【レポート】サテライト訪問歴史編:八千代区の歴史探訪

なごみの里山都で集合し、早速西谷(さいだに)公園へ。この公園には江戸時代とされる池の堤防跡がある。越水(うてみ)は岩盤を利用した石垣積で高さ8.2m。石垣のコーナー部分は算木積み(戦国末期以降用いられた技法。強度が格段に向上したといわれ、長方形の短辺・長辺を交互に組んで積み上げていく方法。また、より強度を増す目的で,隅石の角を持ち上げた形で組み上げたものもある。)が用いられている。
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算木積の石垣            ちょうど高見やぐらの下にある水抜きトンネル

大和地区(中三原、上三原、柳山寺)は、かつて赤穂藩領だった。そのためか、この池を大石良雄(内蔵助)が見に来たことがあると伝えられ、こぼ石垣は「大石の石垣」と名付けられた。

この南側には版築(はんちく)された堤の一部や岩盤をくり抜いた水抜きトンネルも残っている。

一方、この自然をゆっくり味わえるよう、キャンプ場が併設されている。炊事棟(水道)、トイレ、東屋があるので、オートキャンプも出来る。◆問合せ℡0795-37-0250八千代地域局
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一行は東屋で、なごみの里山都特製弁当で昼食。

続いて、毘沙門公園へ。鐘楼は戦後まもなく鋳造された3代目。初代の鐘は延慶2年(1309)、2代目は享保6年(1721)に作られたと銘文にある。鎌倉時代末期には既に毘沙門天がまつられていたことがわかる。江戸時代初期に火災にあい、現在の建物は元禄14(1701)年に再建されたもの。

かつては、日照りが続くと毘沙門堂の鐘を降ろし、カジヤ杉の奥の滝壺に放り込んで雨乞いをしたとか。

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毘沙門堂内部には神馬図絵馬をはじめ多くの絵馬などが奉納されており、当時の信仰の深さを感じさせる。

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時代や規模が違うが大石の石垣と比べるとおもしろい。散策道を登ってみると、こんな石碑が。ちょうどナツツバキ(シャラノキ)が咲いていた。

参加5名


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